野依氏にノーベル化学賞 有機化合物合成で新手法
名大教授兵庫出身 新薬など開発に道 米の2氏も
日本人2年連続,10人目
スウェーデン王立科学アカデミーは十日,2001年のノーベル化学賞を有機化学の権威で昨年の文
化勲章受賞者の野依良治(のより・りょうじ)名古屋大学教授(63)ら三人に授与すると発表した。
生物の持つ酵素にしかできなかった有機化合物の微妙な作り分けを人工的に可能にした「不斉(ふせ
い)合成触媒」の研究が高く評価された。この業績は,新しい原材料や新薬の開発に道を開き,ハッ
カの成分メントールの工業生産などにも利用されている。
野依教授インタビュー
研究室でインタビューにこたえる野依良治教授(11日、名古屋市千種区の名古屋大学)
(時事通信社)09時50分更新
野依良治氏(のより・りょうじ)昭和13年9月3日,兵庫県芦屋市生まれ。灘高から京都大に進み,
昭和36年同大工学部工業化学科卒。同大工学部助手から43年に名古屋大理学部助教授。米ハーバー
ド大留学を経て,47年,33歳の若さで名大教授に。同大大学院理学研究科長も務めた。専攻は有機
化学。平成12年に文化勲章,同年に米ロジャー・アダムス賞など内外の受賞多数。愛知県日進市在
住。63歳。
一九〇一年に始まったノーベル化学賞は今年で満百歳。新たな世紀を迎えた記念すべき栄誉に日本人
研究者が輝いた。日本人のノーベル賞受賞は,昨年化学賞を受けた白川英樹筑波大名誉教授に次ぎ十
人目。化学賞は昭和五十六年の福井謙一博士,白川氏に続き三人目で,同じ分野での連続受賞は初の
快挙となる。
野依氏のほか,同種の研究で功績のあったバリー・シャープレス米スクリプス研究所教授(60),
米企業モンサントの元研究者ウィリアム・ノーレス博士(84)が受賞した。授賞式は十二月十日にス
トックホルムで行われる。
授賞理由は「キラル触媒による不斉水素化反応の研究」。自然界には構成する原子の数や種類が同
じでも,「右手」と「左手」の関係のようにその並び型の違いで性質が異なる分子「光学異性体」(キ
ラル)がある。
例えば,調味料に使われるグルタミン酸ナトリウムは,「左」分子はうまみ成分として働くが,「右」
は働かない。自然界は,二つの物質を巧みにつくり分けるが,人工的に合成すると左右の物質は対と
なり,同じ割合でしか作ることができなかった。
昭和三十年代に社会問題化したサリドマイドの薬害は,鎮静効果と奇形を引き起こすが左右二種類
の分子ができることが分からずに,両方を一緒に使ったことが原因だった。
有用な分子だけを人工的につくることができないか。野依氏は京大助手時代の昭和四十一年,金属
が炭素などの有機化合物に結合した有機金属化合物に着目した。
化学反応を促進する作用がある金属原子に,左右を選別する働きを持つ有機化合物を結合させた独
自の分子触媒「不斉合成」の可能性を世界で初めて提示。その後,世界最高の効率をもつ分子触媒の
開発に世界で初めて成功した。
この触媒は,自然界の酵素よりもはるかに小型でありながら,片方だけを高い効率で作り出せる。
薬品や香料,食品などへの応用が広がり,アミノ酸,抗生物質,ビタミンなどの合成や新薬開発など
に道を開いた。
こうした手法の代表的な例に,ハッカの成分であるメントールの工業生産がある。メントールのす
っとする独自の香りは左手にあたる分子にしかないが,不斉合成では必要なほうだけを99%の割合
で作れるようになった。
これまでに発表した論文は四百編以上,世界で引用された回数は二万2千回に及ぶ。いずれも日本
の化学分野では最多となっている。
こうした功績により,有機化学分野でもっとも権威があるとされる「ロジャー・アダムス賞」を日
本で初めて受賞,国内外で数多くの賞を受けていた。
最大の栄誉
野依氏の話「自然科学を学ぶ者にとって最大の栄誉。一緒に研究した人や学生たちに感謝したい。日
本は駄目だとか自虐的にならないほうがよい。(若い研究者も)誇りをもってやってほしい」
「科学技術創造立国」を目指す 首相がコメント
小泉純一郎首相は(平成十三年十月)十日夜,ノーベル化学賞に名古屋大の野依良治教授教授の受
賞が決定したことについて,「野依博士の優れた業績が認められたもの。この受賞を契機に,『科学
技術創造立国』を目指し一層努力したい」とのコメントを発表した。
小泉純一郎首相からの祝福の電話に笑顔で答える野依良治教授=10月10日8時31分、名古屋市千種区の名古屋大
異端の発想で挑む 心優しい気骨の研究者
心優しい気骨の研究者。十日,ノーベル化学賞受賞が決まった野依良治さんは,そんな形容がふさ
わしい。「既定の価値観の中でやっていたらつまらない。異端でありたい」。そう語って,困難な研
究に挑み続けてきた。
化学の道に進む決意をしたのは,神戸市の私立灘中に通う中学生のとき。父親に連れられていった
発表会で,ナイロンが「空気と水と石炭からできている」と聞かされ,感動したことがきっかけ。
京都大学進学後は勉強嫌い。ラグビー,マージャンなど勉強以外のことは何でもやったという。卒
論のための実験で有機化学の面白さに改めて触れ,実験にのめり込んだ。 京大助手時代,ある実験
でフラスコをのぞき込んだとたん,大音響とともに実験装置が粉々になるほどの爆発事故に遭った。
顔面を十八針も縫うけがを負ったが,三日後には包帯を巻いたまま研究室に現れ,周囲を驚かせたこ
とも。この迫力から,「鬼軍曹」と呼ばれるようになった。
二十九歳で名大理学部の助教授,三十三歳で教授に。四十六歳で日本化学会賞など,異例の若さで
大きな学術賞を次々と受賞し,有機化学界のトップを走ってきた。
仕事への取り組みは厳しいことで知られる。「野依さんの通った跡(研究分野)はペンペン草も生
えない」と仲間にいわれるほど,徹底的に研究する。いまも「日曜日も家で朝から夜まで論文書いた
りして働いています」(野依さん)という仕事ぶりだ。 昨年の名大の公開シンポジウムでは「若い
研究者は自主性をなくし,家畜化が進んでいる」と若手にはっぱをかけた。学生たちの間にも「野依
先生は厳しい」ともっぱらの評判だ。
だが実際に指導を受けた研究室の学生は「徹底的に付き合ってくれるのは,本当は優しい人だから
です」と打ち明ける。人間味あふれるエピソードにもことかかない。
四十代のころまでは酒濠でならした。野依研究室で助手,助教授を務めた岐阜大の鈴木正明教授
(54)は「スナックで朝まで飲んだこともある。神戸育ちなので,酔うとカラオケで『そして神戸』
です」という。野球は熱烈な阪神ファン。
「阪神が強ければ,もっと早い時期にいい研究ができていた」と冗談まじりにぐちることも。「名
古屋駅できしめんを食べ,店に大切な資料を忘れ大慌てしたこともあった」(鈴木教授)とそそっか
しい一面もある。
「研究室では”いい子”だけではなく変人,奇人を10%ぐらいキープしておかなくてはだめ」。一
昨年の中日新聞のインタビューに答えて,そう話していた。そんな野依さんの反骨と優しさが,日本
の基礎科学研究の国際的な評価の高まりと呼応して,ノーベル賞という最高の栄誉となって報われた。
平成13年(西暦2001年)10月11日(木)産経新聞掲載
研究水準世界が評価 科学技術立国に弾み
予算増額強化政策,着実に成果
野依良治・名古屋大教授のノーベル賞受賞は,昨年の白川英樹・筑波大教授に続き,科学部門で二
年連続という快挙となった。科学関係では,白川教授の受賞まで昭和六十二年の利根川進氏(医学・
生理学賞)以来という振らん雲あっただけに,「科学技術創造立国」を目指す日本の科学研究にさら
なるはずみがつきそうだ。
国は今年三月,今年度から五年間の第二次科学技術基本計画を決定した。「知の創造と活用により
世界に貢献できる国」を目指し,研究開発投資の総額を過去五年間の総額より四割以上多い二十四兆
円に増額し,今後五十年間で少なくとも三十人のノーベル賞受賞者を輩出するという明確な数値目標
を掲げたばかりだった。
受賞の知らせを聞いて,遠山敦子文部科学相は「日本人の研究者が高い研究水準を有することを世
界に示し,わが国の研究者はもとより,国民に大きな励みと誇りを与える」とコメントした。
第二次科学技術基本計画は,「発表論文数が多いわりに世界に与える影響は少ない」などといわれ
る日本の科学技術レベルの強化を図るのが狙いだ。科学研究予算が増額された一九八〇年以来の政策
が,実を結びつつあるともいえる。
世界最大の論文情報データベースをもつISI社によると,最近十年間(平成三年−十三年)に発
表された論文で,日本の大学は十九分野中四分野で引用回数の多い研究関トップ5にランクされた。
東北大が物質科学でトップにランクされたほか,今回受賞した化学でも,京大,東大が二位,三位に
つけている。野依教授も機尿頻度が高い委尿著者リストのなかに入っている。
さらに日本のレベルの高さを示す例として,八日に発表された今年のノーベル医学・生理学賞があ
る。米の研究者らが細胞のガン移行などの解明につながる「細胞周期」の研究で受賞したが,同様の
研究ではカナダ・トロント大の増井禎夫名誉教授も高く評価されており,野依教授とのダブル受賞の
可能性さえあった。
野依教授をよく知る古賀憲司・奈良先端科学技術大学院大教授は「われわれが学生だったころ日本
の化学は欧米とは格段の差があったが,今回の受賞で,日本の化学が欧米に劣っていないどころか,
十分に肩を並べていることの証明になったといえるだろう」と話した。
研究応用,社会に貢献 積極的に産学連携推進
「研究成果を応用して社会に貢献しなければという信念を持った人」。野依教授を知る産業人はそ
う口をそろえる。野依教授は企業との共同研究にも積極的に取り組み,日本の化学産業への貢献は計
り知れない。
ノーベル賞選考理由にもなった「不斉(ふせい)合成触媒」の研究成果は化学工業分野で広く応用
され,香料原料「メントール」を人工的に作り出したこともその一つ。高砂香料工業などと共同で昭
和五十八年に製造方法を確立,同社は全世界の需要の一割近くをまかなうまでに成長した。
メントールは菓子や薬品など幅広い分野で使われる香料。人工メントールは不純物がほとんど混ざ
らず,安定供給が可能になった。同社の鶴田治樹専務は「『実生活に役立つのが科学の根本的な発展
の仕方』が口癖。親分肌で自分の研究には厳しい人だが,議論好き親しみやすい人柄です」と話した。
昨年十月には研究者十人と住友化学工業,旭硝子,武田薬品工業など二十一社が参加する産学交流
組織「野依フォーラム」を設立。事務局長の大寺純蔵岡山理科大教授(有機合成化学)によると「産
学連携のシステムのないことが,日本の化学業界で大きな研究開発成果が出ない原因」という野依教
授の強い希望で設立されたという。
平成三年十月から五年間は,科学技術振興事業団の分子触媒プロジェクトの総括責任者を務めた。
同事業団研究推進部の藤川昇部長は「学会や企業からあつまった人をうまくまとめていた。とくに研
究に向けてメンバーの動機づけをうまくやるなあ,と感じた。それも人間的魅力でしょうね」と振り
返った。
「野依語録」は研究者の指針
大阪大工学部 村井眞二教授
学者というものは,くせがあったり何か欠けている部分が目立ったりするおのだが,野依先生はい
わゆる「学者」とは対極にある,高い理想と世界観をもった全人格的な人だ。 お話しや冗談も面白
いし,「野依語録」とも呼ばれる名言を乱発され,われわれの指針になっている。先生は「常に一流
のことをやらなあかん」とよくおっしゃっている。外国に一緒に行っても「不必要にまずいものは食
ってはいかん」とその街で一番おいしいものしか食べないような人だ。また,「人間には英知がある
のだから,英知に基づく結果を出さなければならない」と厳しい姿勢を貫いてこられた。
今回のノーベル賞には,野依先生と同じ分野の米国スクリプス研究所のシャープレス教授がそろっ
て輝いた。野依先生は考え抜いて考え抜いて道を切り開く研究スタイル,シャープレス教授は勘を働
かせながら,獲物を狙うスタイル。サイエンスの研究における二つの王道であり,非常に意義は大き
いと思っている。
野依先生は「研究は美しくなければならない」と,だれがみても納得できる形に仕上げていく。初
めに「おっ」と思ったことをきれいになぞを解いていけば,それを基にした次の研究課題が見つかり,
波及が大きい。
先生はそんな研究スタイルをとって,常に満塁ホームランを放ってこられた。ホームランの陰には
凡打もありそうなものだが,野依先生は粘りに粘って凡打は決して出さない。化学を超え,科学も超
えて,人類に対するオピニオンリーダーになっていただけると期待している。(談)
日本人のノーベル賞受賞者(敬称略)
昭和24年 湯川 英樹(物理学賞)
昭和40年 朝永振一郎(物理学賞)
昭和43年 川端 康成(文学賞)
昭和48年 江崎玲於奈(物理学賞)
昭和49年 佐藤 栄作(平和賞)
昭和56年 福井 謙一(化学賞)
昭和62年 利根川 進(医学・生理学賞)
平成6年 大江健三郎(文学賞)
平成12年 白川 英樹(化学賞)
同時受賞者の略歴
ウィリアム・ノーレス氏 1917年生まれ。42年,コロンビア大で博士号取得。米企業モンサント社
の研究員として働き,86年に退職。
バリー・シャープレス氏 1941年,米国ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。68年,スタン
フォード大で博士号取得。90年から米スクリプス研究所教授。
相撲で養った集中力
「世界の頭脳になるんや」大学時代,友人に語る
ニックネームは「のぶた」−。ノーベル化学賞を受賞した名古屋大教授の野依良治さん(63)。終
戦直後で食糧難だった小学生時代にも,ふっくらとした丸顔だった野依さんは,こう親しみを込めて
呼ばれていた。
野依さんと小,中,高校,大学が一緒だったサンレー冷熱社長の野田伸雄さん(62)=神戸市東灘
区=によると,終戦直前の昭和二十年四月,神戸大付属小に入学した。当時の野依さんは柔道部に。
灘高卒業までの六年間続け,高校二年の時に黒帯になった。「柔道はまあまあ。それよりも相撲が強
かった。ずば抜けた集中力は,相撲で養われたのでしょう」と野田さんは振り返る。
野依さんは京都大工学部に現役で合格。鐘淵化学の専務を務めた父親の影響もあり,応用化学科を
選んだ。野田さんに,「世界の頭脳になる」と語ったのは四回生のころだ。
二人は野依さんが野田さんの結婚式の司会を務めた間柄。今も旧交を温めあう。学生時代の野依さ
んは,名横綱の栃錦に心酔する相撲好きだった。「私は一度も勝てなかった。立ち合いが厳しくて,
あの気合は研究にも生きているはず」。
野田さんは「彼は『世界の頭脳になるんや』と言っていた。実の面(研究成果)ではすでになって
いたが,これで名実とも,ですね」と話した。
また野依さんと同じ兵庫県出身で五年後輩に当たり,灘中学・高校,京都大,ハーバード大と同じ
道を歩んだ名古屋大教授の山本尚さん(58)は「野依さんはオリジナルを作ることが大切だと言うん
です。人のやったことのない仕事,発明,発見に常に取り組んできた」と振り返った。
昨年受賞の白川英樹氏 「理科離れに朗報」
野依Sんのノーベル化学賞受賞を受け,同じ賞を昨年受賞した筑波大名誉教授の白川英樹さんは十日
夜,東京都内で記者会見し,「日本で行われた研究が世界に続けて認められたことは大変有意義。理
科離れが心配されているが,(連続受賞は)若い人たちを勇気づけるだろう」と,次世代の活躍に期
待を示した。
日本人の連続受賞について,白川さんは「ノーベル化学賞でいえば,昨年の私の受賞が(日本では)
十九年ぶり。その次にどのくらい時間がかかるかと思っていたら,続けて野依先生が受賞した。私に
とってもうれしいこと」と語り,満面の笑みで野依さんをたたえた。
「白川,野依両教授に続く日本人のノーベル賞候補者は何人いるか」との記者団からの質問に,「そ
れは十指にあまる」ときっぱり。「ただ,どれだけ世界にアピールするかが問題。若い人に十分な研
究環境が備るよう,独創的な考え方が育つ教育環境ができるように務めなければならない」と訴えた。
会見の途中,会場に野依さんから携帯電話がかかってくるというハプニング。白川さんは「ノーベ
ル賞受賞は(野依)先生の方が先だと思っていましたが,後先は別として,日本にとって大変うれし
いこと」と祝福すると,野依さんからは「一緒に日本の化学を盛り上げていこう」との言葉が返って
きたという。
学生時代から有望,マージャンの大家/受賞は当然
京大時代の恩師で,京大名誉教授の野崎一さん(79)の話 「不斉合成の分野は,ぼくが野依さん
に『大事だから,これをやったらいいよ』と話したことがある。でもここまで大きな仕事になるとは
・・・。学生時代から外国の化学雑誌を詠んで,自分のテーマを見つけては精力的に研究していた。
当時から有望だと思っていたので,彼が修士になるのを待って僕の助手になってもらったほどだ。
でも,遊びも好きで,マージャンの大家だった。実験の爆発でけがをした夜も,うちに泊ってマー
ジャンをしていたのを思い出す。話しが上手で,明るい性格だったので,学生にも人気があった。
彼は精力的に欧米を駆け回り,講演をして知り合いも増やしていた。こういう研究者は,日本人に
は少なかった。ここ十年は毎年,候補者に名前が挙りながら落胆させられてきたので,本当にうれし
い。ご苦労さまでしたと言いたい。肩の荷が下りた思いだろうが,せっかくノーベル賞を取ったのだ
から,八十歳を過ぎても大学で先生を続けて,若い人を育ててほしい」
昭和四十八年にノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈・芝浦工業大学長の話 「昨年の白川英樹氏
に続き,ノーベル賞の日本人受賞者がまた一人増えたことをうれしく思う。日本人の研究成果が,次
々と世界に貢献していることも心強い。野依氏の研究分野である物質科学は日本の研究が進んでいる
といわれ,その中でも『不斉合成反応』などインパクトのある業績を残した野依氏は,以前から有力
な候補者として名前が挙っていた。受賞は当然のことで,若い研究者にもいい刺激になるだろう」
平成13年(西暦2001年)10月11日(木)産経新聞掲載
実験失敗・・・「残念無念」
野依さん若き日の”熱血”ノート
京大助手時代 悔しさ日本語で
ノーベル化学賞を受賞した野依良次・名古屋大教授(63)が母校の京都大助教授時代に書いた
英語の実験ノート二冊が、後輩の大島幸一郎・京都大工学部教授(54)の研究室に残されていた。
実験中にフラスコが爆発、顔や首に二十数針も縫う大けがをしながら翌日に実験を再開し「不死
身の野依」の異名を取った一九六三年の五月には、そこだけ日本語で「残念無念」と添え書きさ
れており、若き日の”血気盛ん”な研究意欲が伝わってくる。
野依教授が助手になった六三年と翌年分のノート。恩師の野崎一・京都大教授(当時)の「税
金でまかなわれた我々の研究はすべて国の財産」との方針で、門下生のノートは研究室に保管さ
れた。九九年に研究室を引き継いだ大島教授が大半を処分したが、野依教授のノートは「ノーベ
ル賞をもらう人」と保存していた。
爆発事故は五月八日に起き、野崎教授は休むよう勧めたが、野依教授は翌日復帰。事故当日の
ノートは「EXPLOSION!(爆発)」と記した下に「残念無念」と鉛筆で書き、悔しさを
にじませている。
大島教授は「失敗を糧に何度も実験を繰り返す、若き野依年生の姿が浮かんでくる」と話して
いる。
2001年(平成13年)10月21日(金)読売新聞掲載