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プトレマイオス(ギリシャ、150頃)
 古代ギリシャでは、天体は球形で、月・水星・金星・太陽・火星・木星・土星の順に、地球を
中心とした円軌道を描き、もっとも外側に恒星をちりばめた恒星天がまわっているとされた。
これを天動説という。しかし、恒星は規則正しくまわるが、惑星は恒星間を複雑に行きつもどり
つする。これを説明するために、プトレマイオスは、惑星は地球を中心とする第1の円軌道上で、
さらに第2の円運動を行うと考えた。古代にも、地球をはじめ惑星は太陽を中心として円運動を
するという地動説はあったが、地球が動くのならどうして鳥や雲は取り残されないのか、という
疑問に答えることができず、天動説が長い間人々に信じられてきた。
  プトレマイオスの宇宙 
 
コペルニクス(ポーランド、1473〜1543)
 16世紀になり、コペルニクスは、天動説における内惑星(水星・金星)の第1の円運動と、
外惑星(火星・木星・土星)の第2の円運動が、太陽の進行と足並みをそろえていることに注目
し、これは、地球の太陽のまわりの公転の反映だと考え、地動説に到達した。
 
ティコ・ブラーエ(デンマーク、1546〜1602)
 占星術師ティコ・ブラーエはコペルニクス説を信用せず、自分の目で確かめようとした。デン
マーク王に大観測所を作らせ、観測機器を改良し、平均を取って誤差を減らす方法を考案し、そ
の誤差角はわずか2分(1分は1度の60分の1)であったという。彼は実に25年の長きにわた
り惑星を観測した。
 
ケプラー(ドイツ、1571〜1630)
 ケプラーは、ティコ・ブラーエの死後彼の観測データを使用して、コペルニクスの宇宙体系を
支配する数学的法則を見つけようとした。
 当時は、自然科学における数学の使用はまだ確立されていなかったし、もちろん計算機などは
なく、もっぱら筆算で計算したので莫大な年月を要した。火星軌道の最初の計算結果は、ティコ
・ブラーエのデータと比べて、方角にして8分の違いがあった。彼はこのわずかな違いを無視せ
ず、いろいろな図形(その中には卵形のような図形もあったという)の軌道を試行錯誤し、一致
するまで膨大な量の計算をくりかえし、ついに惑星の軌道は太陽を焦点とする楕円であることを
つきとめた。(1609)その後さらに約10年間研究をつづけ、惑星の運動に関するケプラーの法則
を完成させた。(1619)
 
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