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アイザック・ニュートン
 
 
 1642年12月25日、イギリス東部の東海岸(ロンドンより北約200km所)にある小都市グラン
タム近くのウールソープという所で生まれた。この年の1月に、イタリアのガリレオ・ガリレイ
が亡くなっている。
 父は農場主で、ニュートンの母親と結婚して数ヶ月後に37歳で死亡した。ニュートンが生ま
れる3ヶ月前である。母は、ニュートンを生んで3年後に、牧師と再婚をしたが、幼いニュート
ンは一人ウールスソープに残され、祖母に養育された。ニュートンの親類や身内の人の中には、
牧師、医者、薬剤師や牧場主がいて、教育を受けるのは当然の環境にあった。叔父の勧めにより、
ニュートンが12歳になったとく、グランタムの王立学校へ行き、そこで大学の授業に必要な数
学やラテン語、神学の基礎を学んだ。卒業後、18歳のとき(1661年)にケンブリッジ大学のトリ
ニティ・カレッジ(「三位一体の学院」の意味)に入学した。しかしそのころ、イギリスではペ
ストが大流行し、1665年8月に大学は閉鎖され、この年から1667年初めまで、ニュートンは故
郷のウールスソープへ一時帰省した。
 しかしこの1年半(23〜25歳のとき)の間に、彼は万有引力を発見し、微積分法をあみだし、
光学(レンズ、プリズム、鏡、望遠鏡、その他)を研究した。太陽からの白色光をプリズムを用
いて各色のスペクトルに分解し、一度分解された光は、再び他のプリズムで分解しようとしても、
それ以上は分解しないこと、また、一度分解した各色のスペクトルを、もう一つ別のプリズムを
用いてはじめのプリズムと逆にして色を集めるようにスクリーン上に投射したところ、白色光が
現れた。このことから、白色光は各色のスペクトルを合わせたものである、と考えた。また1668
年(26歳)には、レンズの代わりに放物面鏡で光を集める方法の反射望遠鏡を開発した。理論
的には1663年にグレゴリ(スコットランドの数学者、天文学者)がすでに考えていたが、実際
に製作はしなかった。それまで作られていた屈折望遠鏡に比べて、光がレンズを通らないので明
るい、色収差がない、等の利点があった。
 このときの光学の研究が、ケンブリッジ大学の教授であるバロー(当時最大の物理学者であり、
しかも数学者であった)に認められ、1669年、27歳の若さでバローの後任としてケンブリッジ
大学の教授となった。しかし、万有引力についてはしばらく公表しなかった。
 1670年(30歳)、ニュートンは自作の反射望遠鏡を王立協会へ送り、その色収差の少ない、倍
率の大きな性能の良さを評価され、王立協会員となった。
 1684年(42歳)のときに、有名な建築家レン(かの有名なウエストミンスター寺院を設計し
た)、フック(弾性力に関するフックの法則を発見した)、ハレー(ハレー彗星の発見者)の3
名が、「距離の2乗に反比例するような引力を受けて運動する物体の軌道がどのようになるか」
を話し合ったとき、フックは「できる」と答えた。しかし、約束の日がきてもその証明を書いた
ものを持ってこないのでハレーはニュートンを訪ねてこの問題を聞いたところ、「すでに何年か
前に解いてある。答えは楕円軌道である。」といい、1685年に完全な証明を示した(これ以後フ
ックの反感をかい、ことごとく対立する)。そして、ハレーの勧めと資金面での援助により、運
動の法則や万有引力の法則についてのより深い、厳密な内容を著した大著である「Philosophiae
Naturalis Principia Mathema」(「自然哲学の数学的諸原理」、略称「プリンキピア」)を著し、1687年
(45歳)に完成した。彼はこの中で、いわゆる運動の3法則を延べ、これと万有引力の法則と
を用いて惑星の運動を解明し、ケプラーの、惑星に関する3法則を導いた。
 1688年(46歳)、下院議員に選出され、数年間、議員を勤めた。ただし、一度も発言したこと
はなく、あるとき立ち上がって何か言おうとしたので、皆、あのニュートンがどのような発言を
するのか、一瞬かたずをのんで待っていたところ、「風が入るから、そこの窓をしめてくれない
か」と言っただけという。
 1690年(48歳)に緊張した精神活動が続いて疲れたためか、精神障害を起こし、2年ばかり、
自宅に引きこもってしまった。しかしやがて、すっかり元どおりではないにしても、かなり回復
した。
 1696年(54歳)、フックの死後すぐ、王立協会の会長になり、1727年、85歳で亡くなるまで、
ずっと会長に選出され続けた。ニュートンが晩年に言ったといわれる、有名な言葉がある。「私
が、世間からどのような目で見られているか分からないが、私は、海岸で美しい貝やなめらかな
小石を捜し求めてあちこちさまよっている少年と同じであり、私の目の前には、未知の真理をた
たえた大洋が横たわっているのである。」
 
※「三位一体説(さんみいったいせつ)」キリストは人間なのか神なのかという問題は、初期神
学の教義確立の上で重要な論点であった。そこで(1)唯一の神だけが本当の神であり、また、(2)
キリストも聖霊も神性をもつ、という二つの主張を満足させるために考案された理論が三位一体
説。父なる神と子たるイエス=キリストと聖霊は三つの位格(姿)でありながら、神性において
は唯一の神であるという理論。アウグスティヌスはすでに教義として確立していた三位一体説に
彼なりの検討を加えた。
 
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