原子や分子の探究の歴史
現在では,原子や分子の存在はあたりまえになっているが,現在のような原子や分子の概念が確立
するまでには,長い年月がかかった。
古代中国、古代ギリシャ・空想的な元素
古代中国では、すべてのものの根元(元素)は、火・水・木・金・土であると考えられていた。ま
た、古代ギリシャでは、火・水・土・空気を元素とする「四元素説」が信じられていた。これらの考
えは、思考(空想)の産物で、実験的に確かめられたものではなかった。しかし、ギリシャの四元素
説はその後長い間ヨーロッパで信じられた。
古代エジプト7世紀後半 錬金術の時代
古代エジプトから、錬金術という卑金属を貴金属(金)に変えるということを目的とした技術の研
究が行なわれ、7世紀後半からアラビア、スペインを経てヨーロッパに広がり、盛んに研究が行なわ
れた。
結局、錬金術は卑金属を貴金属に変えることはできなかったが、その副産物として分析技術や実験
技術の進歩に貢献した。
1661年・ボイルの元素の定義
17世紀になると実験が重要視されるようになり、気体の法則で有名なイギリスのボイルは、古代
の空想的な元素の考えを批判し、「元素は、実験によってそれ以上単純なものに分けられないもの」
と定義した。
1774年・ラボアジエ Antoine Laurent Lavoisier(1743〜1794)・質量保存の法則
フランスのラボアジエは、密閉容器中で空気とスズを熱する研究から、「物質が化合しても、分解
しても、物質全体の質量の和は変わらない」という質量保存の法則を発見した。さらに実験によって
それを証明した。
1799年・プルースト Proust(1733〜1804)・定比例の法則
フランスのブルーストは、鉄などの鉱物や化合物を分析しているうちに「天然のものも、人造のも
のも、同じ物質であればその組成は一定である」という定比例の法則を発見した。これは、現在では
まったくあたりまえのことで、法則というようなものではないと思われるが、当時は原子の概念も確
立されておらず、この法則が正しいかどうかで大論争が起こった。しかし、実験的にブルーストの定
比例の法則が確認され、広く認められるようになった。
1803年・ドルトンJohn Dolton(1766〜1844)・倍数比例の法則
イギリスのドルトンは、化合物の組成についての実験から、「AとBの2つの元素からなる、異な
る2種類以上の化合物があるときは、Aの一定量に対する、Bの量は簡単な整数比になる」という倍
数比例の法則を発見した。
ドルトンの原子説
ドルトンは、それまでの法則を説明するために、「単体も化合物もすべて粒子(原子)からできて
いて、それぞれの元素の粒子(原子)は固有の質量と大きさをもっており、分割できない。化合物は
原子が一定数結合したものであり、物質の変化は原子の組み合わせが変わるだけである。」というド
ルトンの原子説を発表した。(1803)この考えを前述の3つの法則に適用すると、すべて明確に説明
できる。また、ドルトンは原子を表すのに円形記号を考案し(1808)、原子量も公表した。(1810)
ドルトンの原子説は、広く認められ、実験事実に基づく新しい原子の概念が生まれた。
ラボアジエ ドルトン