科学史メニューにもどる
 
ジェームズ・P・ジュール
 
 
 1818年に、イギリスの北西部にあるマンチェスターに近いソルフォードという所で、裕福な
醸造業者の次男として生まれた。一生を研究に費やすことのできるほど、恵まれた環境であった。
子どもの頃に病気がちだったため、読書と実験に熱中するようになった。正規の学校へは行かな
かったが、親は何人かの家庭教師を彼のためにつけた。その中の一人は、ドルトン(「原子論」
を唱えた化学者。ジュールよりも52歳年上であるから、家庭教師をしていたときには高齢であ
った)である。
 10代の頃から電動機に発生する熱量を測定した。20歳のときに自室を改造して実験室を作り、
22歳のときに、導線に発生する熱量(今日、ジュール熱と名づけられているもの)が、導線を
流れる電流の強さの2乗と導線の抵抗値と電流を流している時間との積に比例する、という法則
を発見した。その後はずっといろいろな方法で熱を発生させ(物体が高いところから落下した場
合、液体をかくはんした場合、小さな穴に水を通したときの摩擦による場合など)、熱に関する
研究に取り組んだ。これらの研究は、次のような重要なことの発見につながる。
(1)考えている系の外部から加えられた仕事量と、系内に発生した熱の量とが比例すること。そ
のときの比例定数(熱の仕事当量)の値が、現在使われている単位を用いて表すと、4.2J/cal
であること。
(2)この頃までに、たとえば物体を投げたとき、重力による位置エネルギーと運動エネルギーの
和(すなわち力学的エネルギー)が保存されることが理論的にわかっていたが、空気の抵抗や、
他の物体と衝突した際には力学的エネルギーは保存しなくなる。しかし、このような場合にも、
(1)により、発生する熱がエネルギーの一種であるとみなすと、熱も含めてエネルギーの保存が
成り立っているといえる。
 熱の仕事当量を求めた実験の詳細な内容が発表されたのは1847年であり、彼が29歳のとき
である。しかし、当初、全ての学会誌から論文発表を拒否されたので、マンチェスターでの一般
講演の場で発表し、その全文をマンチェスターの新聞に発表してもらった。その数ヶ月後に、あ
る科学者の集まりの場で発表することができた。そのときも、科学者たちはほとんどがその論文
の内容に注目しなかった。しかし、その中の一人、23歳の新進気鋭の物理学者ウイリアム・ト
ムソン(後に、大物理学者となり、ケルビン卿と名のるようになる。今日の絶対温度目盛りには、
彼の名にちなんで、K が使われている)がいて、その内容に大いに興味をもち、かつその重要性
を認識した。以後、ジュールとトムソンは終生親友となり、一緒に熱の研究を行い、後に「ジュ
ール・トムソン効果」を発見している。トムソンは、機会あるごとにジュールの実験結果の重要
性を延べ、しだいにジュールの業績が認められるようになり、有名になっていった。そして、1850
年にはイギリスの名誉ある学会である王立協会の学会員に選出された。しかし、ジュールは一生
醸造業者として暮らし、大学の教授にはならなかった。1889年に70歳で亡くなった。
 なお、エネルギー保存則の存在を認めたのは、メイヤー(ドイツ、1842年)とジュール(1847
年)であったが、これを明確な形で述べたのはヘルムホルツ(ドイツ、1847年)である。
 
<エピソード>
 ジュールは新婚旅行のとき、滝を見ながら、「この滝は水が落下するので、滝の上よりも下の
滝壺のほうが、温度が高くなるであろう。」と考え、持参していた温度計で、測定をはじめたと
いう。その研究の熱心さの一端を物語っている。そのときの花嫁さんの心境はどのようなもので
あったろうか。この話をしてから、次のような問題を生徒に解かせるとよい。
 
問い、落差が 100m の滝で、落下する際の水の位置エネルギーが全て熱に変わるとすると水温は、
何 K 上昇するか。落下する水の初速度を 0 とする。   (答え 0.23 K )
 
<ジュールの行った〔J/cal〕の測定値>
1843年、導線を磁場内で動かす(発電機)・・4.51
1843年、液体を細管中に流す・・・・・・・4.17
1845年、気体を圧縮・・・・・・・・・・・4.30
1847年、水中で羽根車を回す・・・・・・・4.21
1847年、水銀柱で羽根車を回す・・・・・・4.24
1850年、水中で羽根車を回す・・・・・・・4.8
1850年、2つの鉄板を摩擦する・・・・・・4.17
1867年、ジュール熱の発生による・・・・・4.18
(なお、マイヤーは、1842年に、気体の圧縮比熱と定積比熱の値の差から、計算により、3.6 の値を得ている。
 
ケルビン
 イギリス人、1824〜1907、絶対温度や気体温度計を提案した。
 気体を冷却していけば、−273℃においてすべての気体の体積が 0 になるものと予想される。
ケルビンは、1848年、−273℃を温度の最低限度と考え、絶対零度とした。
 0K では気体分子は完全に静止すると考えられるが、気体は 0K に到達するまでに凝縮して液
体になる。液体になれば、シャルルの法則は適用されない。0K の最も近くまで気体で存在する
物質はヘリウムで、その沸点は 4.2K である。
 液体ヘリウムを低圧のもとで激しく蒸発させると、蒸発熱が奪われるため、約 1K までの低温
が得られる。さらに低い温度に到達するためには、特別な物理学的方法が用いられる。現在、
1×10-8K 程度の低温が実現されている。
 
   ケルビン
 
科学史メニューにもどる