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デカルト(フランス、1596〜1650)
 かなづちを釘の頭に当てて押しても、釘はささっていかないが、かなづちを振り下ろすとささ
ることから、ガリレイは運動しているものは、仕事をする能力があると考えていた。デカルトや
ニュートンは運動は運動量ではかられるものと考え、運動量と力積の関係式mv'mv=FΔt を基
本法則とした。一方、ライプニッツ(ドイツ、1646〜1716)は、速さ v で投げ上げられた物体
は高さ h=v2/2g まで上がることから、運動はmv2(”活力”といわれた)ではかられるべきだ
と主張した。この論争は18世紀半ばにダランベール(フランス、1717〜1783)によって決着が
つけられた。(1743)速さ v で運動している質量 m の物体に一定の力 F が加わって、t 〔s〕後
に距離 xだけ進んで止まったとする。このとき、mvFt から、運動の持続時間 tmvFmv
に比例する。一方、進んだ距離 x は等加速度運動よりxmv2/2F となりmv2 に比例する。こ
うして、運動の効果はその持続時間からみる見方と、移動距離からみる見方があることがわかっ
た。このようにして、運動に関するエネルギー論が形成されていった。
ワット(イギリス、1736〜1819)
 18世紀に産業革命が起こり蒸気機関が発達すると,それが仕事をする能力を正確にはかる必
要が生まれた。それまでは馬を使っていたので,馬のする仕事を基準にした。ワット(イギリス、
1736〜1819)は、滑車を用いて馬に物を引き上げさせ、1分間に15000kgの物を30cm引き上げる
仕事の割合を1馬力とした。こうして、物理学における仕事の概念が形成され、仕事が力×距離
で表されると、Fx = mv2より、mv2は仕事に転化しうるものと考えられるようになった。ヤング
が”活力”にかわって”エネルギー”ということばを用いると(1807)、mv2は運動エネルギーと
よばれるようになった。
  
        ワット                デカルト                 ライプニッツ
 
 蒸気機関は熱を仕事にかえるが、それでは熱とは何であろうか。この疑問は古くからあった。
一方では、熱い物体と冷たい物体を接触させると、熱いほうから冷たいほうへ熱が移動するよう
にみえることから、熱は物質の一種であると考えられた。しかし他方では、摩擦によって熱が発
生することから運動の転化したものという考えもあった。18世紀の末、大砲の砲身をくり抜く
作業で際限なく熱が発生するのを見て驚いたランフォード(アメリカ、1753〜1814)は、装置
を水につけて発生する熱をはかった。すると、作業をつづけるつれ水の温度はどんどん上昇し、
ついに沸騰するに至った。熱が物質だとしたら、こんな多量の物質がいったいどこからでてくる
のか。こうして、ランフォードは熱は運動の転化したものであることを確信した。
 ジュールは、電流による熱の発生からジュールの法則を発見し(1840)、電池の科学反応が熱
に転化すると考えてエネルギー保存則に気付いた。そこで、運動を直接的に熱にかえることを試
みてジュールの実験を行ない(1843〜1849)、熱の仕事当量を求め、熱がエネルギーの一種であ
ることを確かめた。
 マイヤー(ドイツ、1814〜1878)は、東インド会社の船医としてジャワに航海したとき、栄
養物の酸化が身体の熱と活動力になることから、化学反応、熱、力学的仕事がたがいに転化しあ
い、その総量は不変であるという考えに到達した。(1842)
 ヘルムホルツ(ドイツ、1821〜1894)は、エネルギーにはいろいろな形態があり、それらは
たがいに移り変わるが、全体としてエネルギーの和は一定であるというエネルギー保存則を提唱
した。(1847)
 
    ヘルムホルツ           ジュール
 
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