電流の発見
ガルバーニの実験
解剖学者,生理学者でボローニャ大学の解剖学教授であったガルバーニ(1737〜1798,イタリア)
は,偶然のことから電流の発生に導かれる発見をした。
起電機や充電したライデンびんなどが,人体にショックを与えることから,医学にも役立たないか
という考えがあり,医学の研究室や診療室にもこのような電気器具が置かれるようになった。ガルバ
ーニのところでもそうであったが,1780年11月に解剖した蛙の脚を起電機の近くの机上に置いたと
ころ,機電機を放電させるたびに脚がけいれんすることを知った。初め,助手が気づいて,彼自身も
やってみて確信したと報告している。一説によると,彼の妻は身体が弱く,蛙の脚を食べるように命
ぜられていて,彼自身が蛙を調理したが,蛙の皮をはいで机の上に置いて出ていった後で,彼の妻が
上記のけいれんのことにたまたま気がつき,もどってきた彼に話し,彼はもう一度確かめたのだとも
いう。
ガルバーニは,これに関連していろいろ調べてみた。空中電気にも興味をもっていたので,空中電
気でも起電機からの電気と同じことを起こすかも知れないと思い,蛙の脚を庭の鉄柵からカギでつる
して,雷雲の通過するのを待った。そのようなときには確かにけいれんは激しくなったが,晴天のと
きにも,ときによりけいれんすることが観測された。
彼はさらに室内で数年の間いろいろと調べた。そして蛙の脚を金属板上にのせ,脚部神経に針金を
通し,その針金が金属板に触れるたびに,けいれんを起こすことを知った。このようないろいろの観
察結果を報告したところ,各国の科学者の注目を浴びた。ここに摩擦電気とは違う新しい分野のある
ことが暗示されていたからである。この一連の現象についていつのまにか「ガルバニズム」または
「ガルバーニの電気」といわれるようになった。それから後,電池ができてからも,しばらくその
ことばが使われた。明確な定義はないが,動電気という意味になり,狭くは電流の意味にもなった。
(2)ボルタの電堆と電池
ボルタ(1745〜1827,イタリア)は出生地コモの高等学校の物理学教師をし電気盆を発明したりし
たが後にパビア大学の教授になった。熱心な電気実験家であったが,ボルタもガルバーニの蛙脚の実
験に興味をもち,蛙の神経を通じる放電についてさらにいろいろやってみた。また,銀貨と金貨とを
舌にのせこれに針金を結ぶと急に苦い味がすることも知った。そして,これらすべての実験で重要な
ことは,違った種類の金属の接触ではなかろうかと考えた。この考えのもとにいろいろ調べていき,
蛙の脚にかわるものを考えた。脚の湿った感触から,湿った紙を連想したのであろうが,銀(または
銅)と湿った紙(またはフランネル)と亜鉛という組み合わせを考えつき,これを重ねると蛙脚の実
験と同様の現象がおこることを知った。さらにこれを何段にもくりかえして積み上げると,多数積み
上げるほど効果が大きくなり,指先で軽いショックを感じたり,小さい火花も認められることも知っ
た。しかも,ライデンびんのように一度の火花で終わるのではなく,いつまでも繰り返し効力が続い
た。これがボルタの電堆である。
ボルタはさらに,しめった紙としてひたす液についていろいろ試み,希硫酸でひたした紙と銅と亜
鉛の組み合わせがよいことを知った。そして間もなく紙を除き,コップに希硫酸を満たし,銅片と亜
鉛片を入れ,さらにそれをいくつか直列ににつないだ。これがボルタの電池である。
これらの成果は,1800年3月王立協会にも報告され,報告の6週間後にイギリスでも電堆がつく
られ,5月には水の電気分解が観察された。
ボルタの研究は直ちに高く評価され,1801年にはナポレオンがボルタをパリに招いて,電堆実験
を実演させた。
以上によって継続的な電流が得られるようになり,電流についての実験が行なわれるようになった
のである。