真空放電の研究
真空放電に初めて目をつけたのは,18世紀のグルンメルトとワトソンであったが,真空放電を初
めて詳しく観察したのは19世紀のファラデーである。ファラデーは1836年に真空放電を観察して,
今日ファラデー暗部とよばれる暗い部分のあることを見いだした。
1853年マソン(1806〜1858,フランス)はトリチェリーの真空の管中で放電を行なった。カシオ
はいろいろな気体を少量入れた管を作った。ブリュッカー(1801〜1868,ドイツ)のところには科
学器械製作者としてガイスラー(1814〜1879,ドイツ)がいたが,1855年にブッリュッカーの考案
基づいてガイスラーが作った水銀ポンプは従来のものより性能がよく,真空の研究の進歩に役立った。
ガイスラーは数々の真空放電管を,この真空ポンプを使って作った。ブリュッカーはこれらをガイ
スラー管とよび,これを使って数々の観察をした。1858年には,気圧を下げると陰極に近いガラス
壁から緑色の蛍光を発し,磁石を近づけると蛍光の場所が移動することなどを観察した。
ヒットルフ(1824〜1914,ドイツ)は1869年に陰極と蛍光を発するガラス壁との間にいろいろな
物体をおくと物体の影が壁にうつることを見いだし,陰極から放射線が出てガラスに当たると蛍光を
出すのであろうと推測した。
ゴルドシュタイン(1850〜1930,ドイツ)は1871年ごろから,この放射線について詳しい実験を
くりかえし,この線はすべての陰極板から平行にまっすぐに放出され,この線の性質は陰極の物質の
性質によらないこと,化学作用を起こすことなどを確かめ,陰極線と名づけた(1876年)。パリー(1823
〜1883,イギリス)は1871年に,この陰極線が磁石によって曲ることから,負の電気を帯びた粒子
からなるであろうという推論を初めて出した。
1879年にクルックス(1823〜1919,イギリス)は真空ポンプを改良し,さらに高い真空を実現し,
もう一つの暗黒部(クルックス暗部)を見いだし,また軽い羽根車を入れると回転することを見いだ
した。そのころドイツ系の学者の間では,陰極線は電磁波であろうという説が盛んになった。一方,
イギリスでは粒子説をとる人が多かった。1894年に,レーナルト(1862〜1947,ドイツ)は薄いア
ルミ箔でつくった窓から陰極線を放電管のそとに出すことに成功した。
トムソンは1894年に回転鏡を使って陰極線の進む速さは 1.9×105m/s 程度であることを知り,
粒子説に確信を得た。
トムソンは1897年には,陰極線を電場で曲げることに成功し,電場と磁場とをたくみに組み合わ
せて,陰極線粒子の電荷と質量の比(比電荷)e/m を測定した。 e/m の値は放電管につめた
気体や電極物質によらず一定であることを知り,これから陰極線粒子がすべての物質に共通に含まれ
ていると考えた。その e/m の値が水素イオンに比べて103倍くらいであることから,e が大きい
か,m が小さいかであるが,薄い金属箔を通過して空気中を直進することから,陰極線粒子は m の
小さい微粒子で,質量が水素の 1/103 程度のものであると考えた。この考えは,ゼーマン効果の
値と一致した。トムソンはこの粒子を微粒子(corpuscle)と名づけた。
これが電子とよばれるようになったが,当のトムソン自身は微粒子とよび,電子とよぶことをしな
かった。