電気学の探究
静電気
古代より、電気はコハクを摩擦すると ちり を引きつける現象として知られていた。18世紀に
は、摩擦によって帯電するものとしないものがあることから、帯電しないのはその物質が電気を伝え
るからであり(導体)、帯電するのは電気を伝えないからである(絶縁体)と説明され、電気の伝導
性が知られ、電気流体とよばれた。オランダのライデン大学では、外側と内側に金属の はく を張
ったライデン瓶が発見され、摩擦起電機によってつくられた電気をたくわえることに成功した。(1746)
これは最初のコンデンサーである。
皮でガラスをこすったときにできる電気と、樹脂をこすったときの電気はたがいに引きつけあうが、
同種どうしでは反発しあうことから、電気には2種類あることがわかってきた。前者は”ガラス電気
”、後者は”樹脂電気”とよばれた。フランクリン(アメリカ、1706〜1790)は、雷の夜にたこ揚げ
をして雷雲の電気をライデン瓶に充電することに成功し、それが摩擦電気と同じものであることを実
証し、この経験から避雷針を発明した。彼は、こすったあとの皮も帯電していることから、摩擦によ
って電気流体の移動が起こったと考え、ガラス電気は電気流体が過剰になった状態で正電気、樹脂電
気は不足した状態で負電気であると説明した。(1750)彼は電気流体はこのように移動するだけで増
えも減りもしないと、電気量保存の法則を示唆した。金属中の電子を電気流体と考えればこれは現在
でも正しい。静電誘導が発見されると、この現象を利用して電気量をはかる器具、はく検電気が作ら
れた。電気の引力と斥力を定量的に調べたのはクーロンである。かれは、万有引力との類推から、電
気の力も距離の2乗に反比例するのではないかと予測し、ねじればかりを用いて精密に調べた結果、
これを確認しクーロンの法則を確立した。(1785)
フランクリン クーロン
電流
ボルタ(イタリア、1745〜1827)は、2枚の金属板を向い合せて現在のようなコンデンサーを作
った。このころ、ガルバーニ(イタリア、1737〜1798)は、2種類の金属とカエルの筋肉をむすぶ
と筋肉がけいれんすることに気づき、動物電気と称していた。(1780)ボルタは、動物の筋肉を使わ
ずに銅と亜鉛の2金属の間に塩水をひたした厚紙をはさんだものを積み重ねると、ライデン瓶を触っ
たときと同じ痛みを持続的に感じることを見つけた。(1799)これが持続電流の発見で、ここに電池
がはじめて作られた。オームは、導線の種類、長さ、太さなどを変えて測定をくりかえした結果、電
流の強さ、電池の起電力、回路の抵抗などの概念に行き着き、オームの法則としてまとめた。(1827)
オーム
彼は、高低差のある場合の水の流れや、温度差のある場合の熱の流れの類推からこの法則を見つけた
といわれる。
オームはさらに種々の物質の抵抗率を測定したが、これは物性研究のはじまりである。
動物電気 ボルタの電池
電気学の発達
電気分解がイギリスで偶然に発見されると、ファラデー(イギリス、1791〜1867)は、電気分解
でできる物質の量は流れた電気量に比例するという、電気分解の法則を発見した。(1833)電気分解
によって、流体中の電気伝導の担い手であるイオンが発見された。これに対して、気体中の電気伝導
から電子が発見され、電気が発達していった。
電子の発見
ブリュッカー(ドイツ、1801〜1868)はガイスラー(ドイツ、1815〜1879)に依頼して真空ポン
プとこれを利用した真空放電管を作らせ、それを用いて真空放電を研究したが、放電管の陰極面から
何か放射されていることを発見した。(1858)それは後に陰極と名づけられた。
陰極線の本体については、やがて、電場での曲り方などから負電荷をもつ高速粒子の流れであるこ
とが明らかになった。トムソンはその粒子の比電荷e/mを測定し、水素イオンの比電荷の1000倍
程度の値を得た。(1897)これは質量mが小さいためか、電荷eが大きいためか、または両者が組み
合わさったためかであるが、種々のことからeは電気素量で、mは非常に小さい共通の物質が各元素
から引き出されたものと考えられ、この解釈に矛盾する事実は何もないと述べている。その後、この
考えの正しいことがわかり、この粒子をエレクトロン(電子)とよぶようになった。ミリカンは従来
の水滴法を改良し、油滴法によって電気素量の精密な測定を行なった。(1909)
ミリカン J.J.トムソン